童話をお届けします。「一つの花」、今西祐之の作品です。
「一つだけちょうだい」 これが、ゆみ子のはっきり覚えた最初の言葉でした。 まだ戦争のはげしかったころのことです。そのころは、おまんじゅうだの、キャラメルだの、チョコレートだの、そんな物はどこへ行ってもありませんでした。食べる物といえば、お米の代わりに配給される、おいもや豆やかぼちゃしかありませんでした。 毎日、てきの飛行機が飛んできて、ばくだんを落としていきました。町は、次々に焼かれて、はいになっていきました。 ゆみ子は、いつもおなかをすかしていたのでしょうか。ご飯のときでも、おやつのときでも、もっともっとと言って、いくらでもほしがるのでした。 すると、ゆみ子のお母さんは「じゃあね、一つだけよ」と言って、自分の分から一つ、ゆみ子にくれるのでした。 「一つだけ・・・・一つだけ・・・」と、これが、お母さんの口ぐせになってしまいました。ゆみ子は、知らず知らずのうちに、お母さんのこの口ぐせを覚えてしまったのです。 「なんてかわいそうな子でしょうね。一つだけちょうだいと言えば、なんでももらえると思っているのね」 あるとき、お母さんが言いました。すると、お父さんが、深いため息をついて言いました。「この子は、一生、みんなちょうだい、山ほどちょうだいと言って、両手を出すことを知らずにすごすかもしれないね。一つだけのいも、一つだけのにぎり飯、一つだけのかぼちゃのにつけ・・・・。みんな一つだけ。一つだけの喜びさ。いや、喜びなんて、一つだってもらえないかもしれないんだね。いったい、大きくなって、どんな子に育つだろう」 そんなとき、お父さんは、決まってゆみ子をめちゃくちゃに高い高いするのでした。 それから間もなく、あまりじょうぶでないゆみ子のお父さんも、戦争に行かなければならない日がやって来ました。 お父さんが戦争に行く日、ゆみ子は、お母さんにおぶわれて、遠い汽車の駅まで送っていきました。頭には、お母さんの作ってくれた、わた入れの防空頭巾をかぶっていきました。 お母さんのかたにかかっているかばんには、包帯、お薬、配給のきっぷ、そして、大事なお米で作ったおにぎりが入っていました。 ゆみ子は、おにぎりが入っているのをちゃあんと知っていましたので「一つだけちょうだい、おにぎり、一つだけちょうだい」と言って、駅に着くまでにみんな食べてしまいました。 お母さんは、戦争に行くお父さんに、ゆみ子の泣き顔を見せたくなかったのでしょう。 駅には、ほかにも戦争に行く人があって、人ごみの中から、ときどきばんざいの声が起りました。また、別の方からは、たえず勇ましい軍歌が聞こえてきました。 ゆみ子とお母さんのほかに見送りのないお父さんは、プラットホームのはしの方で、ゆみ子をだいて、そんなばんざいや軍歌の声に合わせて、小さくばんざいをしていたり、歌を歌っていたりしていました。まるで、戦争になんか行く人ではないかのように。 ところが、いよいよ汽車が入ってくるというときになって、またゆみ子の「一つだけちょうだい」が始まったのです。 「みんなおやりよ、母さん。おにぎりを・・・・」 お父さんが言いました。 「ええ、もう食べちゃったんですの・・・・。ゆみちゃん、いいわねえ。お父ちゃん、兵隊ちゃんになるんだって。ばんさあいって・・・・」 お母さんは、そう言ってゆみ子をあやしましたが、ゆみ子は、とうとう泣きだしてしまいました。「一つだけ。一つだけ」と言って。 お母さんが、ゆみ子を一生懸命あやしているうちに、お父さんが、ぷいといなくなってしまいました。お父さんは、プラットホームのはしっぽの、ごみすて場のような所に、わすれられたようにさいていたコスモスの花を見つけたのです。あわてて帰ってきたお父さんの手には、一輪のコスモスの花がありました。 「ゆみ。さあ、一つだけあげよう。一つだけのお花、大事にするんだよう・・・・」 ゆみ子は、お父さんに花をもらうと、キャッキャッと足をばたつかせて喜びました。 お父さんは、それを見てにっこり笑うと、何も言わずに、汽車に乗って行ってしまいました。ゆみ子のにぎっている、一つの花を見つめながら・・・・。 それから、十年の年月がすぎました。 ゆみ子は、お父さんの顔を覚えていません。自分にお父さんがあったことも、あるいは知らないのかもしれません。 でも、今、ゆみ子のとんとんぶきの小さな家は、コスモスの花でいっぱいに包まれています。そこから、ミシンの音が、たえず速くなったり、おそくなったり、まるで、何かお話をしているかのように、聞こえてきます。それは、あのお母さんでしょうか。 「母さん、お肉とお魚とどっちがいいの」と、ゆみ子の高い声が、コスモスの中から聞こえてきました。すると、ミシンの音がしばらくやみました。 やがて、ミシンの音がまたいそがしく始まったとき、買い物かごをさげたゆみ子が、スキップをしながら、コスモスのトンネルをくぐって出てきました。そして、町の方へ行きました。 今日は日曜日、ゆみ子が小さなお母さんになって、お昼を作る日です。
by suirenn2
| 2005-11-07 19:11
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