6月24日の読売新聞(朝刊)の記事です。
司馬遼太郎の「竜馬がゆく」の最終回と「坂の上の雲」の初回などの自筆原稿が
見つかったとのこと。400字詰用紙に万年筆で書かれていて、元の文を線で
消す、句読点を直すなど推敲の跡が分かるという。
ブログ友のOちゃんも話題にしていましたが、私にとっても衝撃的、感動t的な
記事でした。「竜馬がゆく」の最終回についてのことが書かれてあったからです。
「竜馬がゆく」は文庫本にして8巻、面白くて夢中になって読んだものでした。
その「竜馬がゆく」の最終回、まさに最後はこういう文章で終わっています。
天に意思がある。
としか、この若者の場合、おもえない。
天がこの国の歴史の混乱を収拾するためにこの若者を地上にくだし、
その使命がおわったとき惜しげもなく天へ召しかえした。
この夜、京の天は雨気が満ち、星がない。
しかし、時代は旋回している。若者はその歴史の扉をその手で押し、
そして未来へ押しあげた。
文中のこの「惜しげもなく」が、当初は「惜しむように」だった。
それを「惜しげもなく」と強い表現に書き換えたことが分かるというのです。
驚きました。ぐっと胸を衝かれるようでした。
確かに「惜しむように」と「惜しげもなく」では意味が違ってきます
龍馬の凄絶な最期、短い生涯を想えば、「惜しげもなく」こそ毅然としていて
「天に意思がある」あるいは「天へ召しかえした」と言葉もまた一層深い意味を
湛えてくるような気がします。
司馬遼太郎ほどの大作家にして、句読点のひとつ、言葉ひとつにこだわる。
作家なら当たり前のことなのかもしれませんが、実際にその痕跡が見てとれる
という今回の原稿の記事は、龍馬に関することでもあっただけに胸を打たれたのでした。