7日、近所同志の数人が集まって茶話会でした。
あれやこれやの四方山話、賑やかなお喋り会でもありました。
そんな中で話題になったのが、除夜の鐘のこと、うるさいという苦情があったために
昼間に衝くところがある・・・・・との一件でした。
テレビ(年明け早々の番組)でさだまさしさんが言っていたのです。
私も聞いて驚いたのですが、他にもきいた人がいて、いっとき盛り上がりました。
苦情があったにしても除夜の鐘を昼間に衝くのはおかしい、そもそも除夜の鐘を
うるさいと思うなんて、近頃は自分勝手な苦情が多いのではないか・・・・等々
思っていることは皆おなじようなものでした。それでも、うるさいという苦情で、
昼間に衝くことにしたお寺の事情には理解を示す人もいました。
そもそも除夜の鐘とは、「
除日=じょじつ」の「
夜」に衝く鐘のこと。
除日とは「
旧い年を除く日」という意味」で「
大晦日」のことをいう。
こうした意味合いを考えれば、昼間に衝けばよいというものでもない・・・・・。
ところで、衝く鐘は百八と回数が決まっている。
これは人間の煩悩の数といわれていますが、もともと中国の仏教儀式として始まった
当初は、一年十二ヶ月、立春などの四節気、さらには七二候などの時候に由来する
ものだったようです。それがやがて仏教思想と結びついて煩悩の意味になったらしい。
この百八という鐘を衝く回数、旧年のうちに百七回、最後の一回は新年になってから
衝く・・・・よく知られていることですが、私はちょっと不思議に思ったことがありました。
煩悩を除くためなら年内に全部衝いてしまえばよさそうなものなのに・・・・?
新年になって衝く最後の一回には、勿論のこと、意味があったあのですね。
新しい年が煩悩に煩わされることがないように、そいうい切なる願いが籠められた
最後の一回、深い祈りの最後の一衝きなのだそうです。
こうしていろいろ考えてみると、やはり除夜の鐘は「大晦日の夜」こそのもの。
単なる風物詩以上のものと思いがあらたまるようでもあります。
茶話会まで時間がある、お天気が崩れそうということで、思い立って
東御苑をひとまわりしてきました。
ふっくりした蝋梅がまたきれいに咲いていました。
梅も咲いていました。ただ全体としては花をつけている木は半分くらいだったでしょうか。
多くの木々が葉を落とし、下草を刈った雑木林には日が射しこみ、気持ちが和む風景です。
ほんの一瞬のこと、メジロがきてすぐ飛び去ってしまったのですが、
なんとか1枚撮れていました。