「大化の改新」は中大兄皇子と中臣鎌足が「藤棚」の下で作戦をねった、そして、その成功に
より鎌足は「藤原姓」を賜り、摂関家藤原氏の繁栄を築いた。この藤原氏に仕えていた流れと
して佐藤、伊藤、加藤など「藤」の名前がある・・・・とか。「まったく関係ない」という説もあり、
真偽のほどは判りませんが、「藤棚の下」が日本史の舞台だったとはいいですね。
藤は花が垂れることから「下降」のイメージがあり、「不治」にも通じるので屋敷には植えなか
った、また反対に、松を男に藤の花を女にたとえ、男女睦まじく子孫繁栄につながるとして好
まれた、二つの言い伝えがあります。いずれにしても、今よりはるかに身近な植物だったの
ですね。豆果は凶作の時の大事な食糧でもあった・・・・。蕎麦と同じように、いざと言う時の
生活に密着したものだったのです。
花はアク抜きをすれば天ぷらなどにして食べられるそうです。「藤の花の天ぷら」、でも、きい
たことないなぁ。藤の名勝地にでも行けば食べられるのでしょうか。
藤といえば「下リ藤」「上り藤」「藤巴」など家紋を連想・・・・。繁殖力が強く、花が美しいので
好まれ、150種類もの「藤紋」があるとか。もともとは房の下がったのが本来の形だったの
が、ここでも家の勢力が下がるのを嫌って、「上り藤」が生まれたとの説があるようです。
藤はただ咲いているだけなのに・・・・。人間世界はややこしい!