2017年 03月 03日 ( 1 )

3月 とりとめんく・・・

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我が家は女の子二人、「一人にひと飾り」とはいかなくて、二人共用でした。
それでも、お雛様が飾れただけましだったでしょうか。

私自身はお雛様を飾ってもらったようです。
雛段と一緒に写った幼い頃の写真がのこっています。
けれども、終戦後間もなく生まれた二人の妹にはそんな思い出さえもない。
妹二人がそれで僻んでいるのでもないのですが、なぜかひな祭りになると
幼かった妹たちのことが浮かんでくるのです。
貧しくて、食べるのが精いっぱい、お雛様どころではない時代でした。

さて、話題をかえて・・・・・わくわくするようなニュースでした。(3月2日 読売新聞)
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飛鳥時代では破格の規模で、被葬者は天皇(大王)級の人物だったことが確実になった。
そうあります。被葬者は舒明天皇? 蘇我蝦夷? 興味深いですね。

舒明天皇といえば、その息子は「中大兄皇子(後の天智天皇)」、蘇我蝦夷といえば
その息子は「蘇我入鹿」、中大兄皇子、蘇我入鹿ともに、古代史を劇的に彩った
人物です。「乙巳の変」という宮廷内(飛鳥板蓋宮)でのクーデター・・・・・

蘇我入鹿は中大兄皇子によって暗殺され、天皇家を凌ぐ権勢を誇っていた蘇我氏は
ここに滅亡します。きっかけは、蘇我蝦夷、入鹿の親子が血縁にあたる皇子(古人大兄
皇子)を次の大王に擁立しようとしたため、中大兄皇子に失脚の恐れが出てきた。
この状況を覆すために、暗殺という謀略をもちいて蘇我宗本家を滅ばしたのです。
この事件をきっかけとして、大王を中心とした律令制的な中央集権国家体制を
目指すことになります。これが「大化の改新」ですね。

今回のこの巨大墳墓は、まさに激動の古代の遺跡です。
西暦645年頃の遠い遠い昔の遺跡が発掘されることに驚くとともに、
今後の研究によって明かされるであろうことが楽しみになってきました。
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東御苑で・・・・
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ヒヨドリが群がっていました。人がいようと平気で、わさわさ枝と揺らしている。
桜にヒヨドリ、可愛くない!
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フクジュソウは満開になっていました。
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by suirenn2 | 2017-03-03 12:01 | Comments(8)