先日、多摩川台公園の帰路「六郷用水」の遊歩道を巡ってきました。
六郷用水とは、天正18年(1590年)に関東を領地とした徳川家康が、新田開発計画による六郷領(多摩川沿岸地域)の灌漑のために開削した水路です。川崎市の二ヶ領用水も同時に開削されました。用水の工事は、幕府の代官・小泉次太夫が指揮をとり慶弔2年(1597年)の測量に始まり、同16年(1611年)まで15年を費やす大工事でした。治水事業、土木・水道工事のルーツといえるでしょう。
用水は、和泉村(現 狛江市和泉)で多摩川から取水され、世田谷領を経て、沼部、嶺を通り、矢口村で北堀(池上、新井宿、大森方面)と南掘(蒲田、六郷方面)に分かれました。その全長は約30km、分水支水路は百数十キロにおよび、灌漑面積は1,500haに及んだとされています。
以後、江戸・明治期を通じて、城南の穀倉地帯を支える恵みの水を運ぶ用水路として利用されてきたのです。時代の流れと共に用水流域の様子は水田から畑、そして宅地へと変化し、六郷用水も昭和初期には用水路としての使命をあらかた終えることとなります。 ーネットより拝借ー
東急多摩川線「沼部」の辺りに面影をのこしています。
「ジャバラ」と呼ばれた当時の揚水用の踏み車も再現されていました。
近くの「東光院」あたりの桜・・・・
用水路手前のこのトンネルは、昭和初期に作られた区内最初のトンネルです。
トンネル中央付近の車道にあるマンホールのふたには「東」マークがデザインされています。東京都になる前の「東京府」の時代に設置されたものです。(写真はうまく撮れませんでした)