仮にレストランで働いていたとして、手から滑ってコップが割れた・・・・・いちおう報告しなければならないとして、こんな時、どう言うでしょう?
「コップを割ってしまいました」でしょうね。まさか、
「コップが割れました」とは言わないでしょう。でも、
「割ってしまいました」は日本人特有の言語表現で、アメリカ人も、ヨーロッパの人も、中国人も
「割れました」と言うそうです。韓国ではどうなのか今度訊いてみようと思うのですが・・・・。
ーなぜ日本人に限っては、手から滑り落ちたコップに対して「私が割った」と言うか。これは日本人の責任感だと思う。つまり日本人はこう考えるのである。自分の手からコップが滑り落ちて割れたのは、自分が油断していたからだ。自分がしっかりしていたならばこのコップは割れなかった。自分がうっかりしていたからコップが割れた。このことの責任は自分にある。だから「コップを割りました」という言い方になるのである。こういう考え方は日本人の美徳であると私は考える。 - 読売新聞、金田一春彦、「ホンモノの日本語を話していますか」の記事より
「美徳」と考えることに勿論私も同感です。ただ、世界のたいていの人が「コップが割れた」と考える・・・・・ということは、覚えておいてよいことですね。外交問題など言うつもりはありませんが、サッカーの試合を観ていて、技術、力量、体格などの違いの他に、何か根本的に思考形態が違うように感じたりするのです。
もし、自分の子どもや孫が「コップが割れた」と言ってきたらどうしましょう?やはり、「あなたが割ったんでしょ」と言ってしまいますかね~?
ハエトリソウ(蝿取草)
ウツボカズラ