5日、BS5の「昭和偉人伝」という番組で市川雷蔵さんが紹介されていました。
何となくみていたのですが、みているうちにいろいろ思い出すこともあって、
懐かしさがこみ上げてきました。
ちょうど奥の部屋の書棚を片づけ始めていたところだったので、詰め込んである写真など
取り出して眺めながら、思い出に浸っていました。片づけが滞ってしまいましたが・・・・
写真集が2冊、亡くなられた後に出版されたものです。
亡くなられたのは昭和44年7月17日、あれからもう45年にもなるのですね。
37歳の短い生涯でした。ご自宅でのお通夜のあと、7月23に日に池上本門寺で
盛大な葬儀が営まれました。晴れた日でしたが、途中から空が俄かに掻き曇り、
激しい雷雨になりました。
いっときのことながら、稲妻が走り、雷鳴が轟いたあのときの情景はいまでも目に
焼き付いています。「大雲院雷蔵法眼日淨居士」、池上本門寺に眠っておられます。
送っていただいたスチール写真が30枚ほどのこっています。
なかにはサイン入りのもあって、ファンにとっては「お宝もの」でしょうか。
左下は、「華岡青洲の妻」の撮影にあたり共演の高峰秀子さん、若尾文子さんと
華岡青洲のお墓参りに行かれたときのもの、素顔の雷蔵さんですね。
時には年に14本、雷蔵さんによって演じられた作品は153本にもなるという。
年譜にそって数えてみたら私がみたのは60本くらいでした。
映画館でみたのもありますが、テレビやレンタルビデオでも沢山鑑賞していました。
「得意冷然 失意泰然」、お好きな言葉として書いていただいた色紙は少し色褪せて、
過ぎ去った長い年月を物語っているようです。
何かの折にいただいたシュガーポットはいまでも毎日のように使っています。
花束を贈っているのは私です。お誕生日祝いのファンの集いがあり、どういうわけか
私が指名されて・・・・・ご一緒に写っているたった1枚の写真です。
縁あって個人的に何回かお目にかかる機会があったのに、その時の写真がなくて残念!
高倉健さん、菅原文太さんと昭和の銀幕を飾ったスターの訃報に、何がしかの感慨を
いだいた方もいらっしゃるでしょうか。市川雷蔵さんもまた光り輝いた昭和のスターでした。
しかも、現在にいたるまで毎年「映画祭」が開催されていて、新しいファンが生まれ続けている。
世界的にも稀な不滅のスターといえるでしょうか。
雷蔵さんのこんな一文が目にとまりました。
「やりたいことが一杯」「せめて百歳くらいまで・・・・」、言葉が胸に沁みるようです。
私のもっとも好きな作品「ひとり狼」、こうして綴っていても鳥肌が立つような感動が
蘇ってきます。